国鉄103系電車。日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流通勤形電車で、1963年から1984年までの21年間に3,447両が製造されました。
3,447両。
単純に並べたとして69kmですよ。東京駅を起点にすると小田原市、大月市、奥多摩町、秩父市、南房総市などなど。そう考えるとすごい数ですよね。
で、そんな103系。国鉄初の新性能通勤電車として1957年に登場した101系をベースにして発展させた形式となっています。特に駅間距離の短い線区の運転やMT比1:1の編成を組成可能な経済性を重視し、当時の国鉄の財政・設備・保守などの各事情(特に巨額の赤字については世論の目が厳しくなっていた)を考慮の上で設計されました。
車体の構造などは?
103系電車は切妻形車体・3枚窓による運転台のシンプルなデザイン・幅1,300 mmの両開き4扉・扉間7人掛け車端部3人掛けのロングシート・コイルばね台車はウイングばね軸箱支持・主電動機に直巻整流子電動機を用いた抵抗制御・MM’ユニット方式という、今で見れば非常にオーソドックスな構造になっていました。
ただ後述しますが、鉄道利用者の急激な増加に対応するために様々な工夫が凝らされており、今までとはまた異なる新型電車と言える存在でした。そしてその工夫は大成功だったわけですが。
さらに大量生産が可能であったり、信頼性や保守性が高いというメリットがあったことで北海道と四国を除く日本各地で活躍出来たわけなんですよね。
新形通勤電車
ちなみに103系が登場した高度経済成長期。
駅員が客を押し込むというような通勤ラッシュはまさに戦場というような様相だったと聞きます。もちろんそんな大混雑ではダイヤ遅延は日常茶飯事なわけで。
ということでその問題点を改善するため、効率的な輸送と鉄道利用者の利便性向上を期待されて登場したのがこの103系というわけです。
単純に加速・減速性能が高ければ、特に減速性能を高めることで多少の遅れも取り戻すことが出来ます。103系は加速度を低く抑えつつ、減速度を高める設計になっています。
103系電車の投入先と量産
1962年、新型通勤電車の概要がまとまり、投入先の決定が焦点となりました。当時の議論では、本系列を山手線に投入するか、捻出される101系の転用先をどうするかが検討されました。
その結果、本系列の投入先として山手線が選ばれ、101系は総武緩行線に転用されることが決定されました。1962年11月には変電所増強が完了し、翌年のダイヤ改正から山手線の一部が8両編成化されました。ただし、電力供給の制約から、当初は限流値が変更されず、新性能化されながらも一部の制約を受ける状況が続きました。
1963年3月には先行試作車が完成し、9か月にわたる試運転が行われました。その後、1964年5月から量産車が製造され、山手線に配置されました。1964年度には202両の量産車が製造されました。一方、捻出された101系は中央・総武緩行線に配置され、新製の先頭車2両を組み込んで10両編成で運用されました。
103系はその後も大量に製造され、国鉄における通勤用の標準車両として広く使用されました。特に1970年代から1980年代にかけて、首都圏や近畿圏などの都市圏で多くの103系が運行され、通勤輸送を支えました。JR化後も約3500両の103系がJRに承継されましたが、運用線区の変更や新型車両への置き換えなどが行われました。
延命工事による車両の更新と改善
車両の寿命は規程によって決められていますが、延命工事によってその寿命を延ばし、費用を抑制しながら車両の更新と改善を図ることができます。延命工事は、車両投資を減らし、陳腐化したアコモデーションを改善する効果もあります。
国鉄・JR各社では、延命工事のさまざまな形式が実施されました。その一例としては、国鉄時代から施行された特別保全工事やリフレッシュ工事、JR西日本が行った延命N工事や延命NA工事、JR東日本の車両更新工事などがあります。
特別保全工事は、国鉄が財政難で新車の早期置き換えが難しかったため、製造後20年が経過した103系を対象に行われました。この工事では車体の腐食部分の貼り替えや配管、配線の引き直しなどが行われ、関東地区ではアコモデーションの改良も行われました。また、リフレッシュ工事では特別保全工事の内容に加えて、関西地区向けにさらなるアコモデーションの改良やステンレス・アルミ材の使用も行われました。
JR西日本では延命N工事や延命NA工事、延命NB工事などが実施されました。これらの工事では、屋根の補修や塗装の更新、配管や配線の取り替え、座席や床・壁の改修などが行われました。また、JR東日本では車両更新工事が行われ、屋根や外板の補修、配線の引き替え、ジャンパ連結器の取り替え、内装の改善などが行われました。
これらの延命工事によって、車両の寿命が延び、同時に快適性や安全性の向上も図られました。しかし、1990年代には新型車両の登場や老朽化の進行に伴い、更新工事から置き換えへの移行が行われました。これにより、更新工事が中止された路線もありました。
延命工事は、限られた予算の中で車両を最大限活用し、サービスの向上を図るための重要な手段となりました。それによって、古い車両でも快適で安全な輸送を提供することが可能となり、鉄道事業の効率性と経済性を高めることができました。
JR東海では、リフレッシュ工事が実施されました。これは、103系が引き続き使用されていたが、新たに増備された211系5000番台との間でアコモデーションの格差が目立つようになったため、特別保全工事の内容に加えて接客設備の水準を新造車並みにグレードアップするための工事です。
リフレッシュ工事では、側窓と妻窓が上段下降・下段固定のユニット窓に交換され、側扉と妻扉はステンレス製に交換されました。また、内装は白色の化粧板に変更され、座席は袖仕切り付きのバケットシートになり、握り棒や荷物棚も改良されました。さらに、車体の塗装も従来のスカイブルーからクリームにオレンジ・緑の帯のJR東海カラーに変更されました。
このリフレッシュ工事は1989年から開始され、1990年度までに50両に施工されました。これにより、103系の車両の内装や外観が一新され、乗客への快適性が向上しました。
国鉄解体……JRへほぼすべてが継承
ちなみに国鉄解体後、JRグループ発足時には、事故廃車2両と105系改造車65両を除いた3,436両が、JR北海道とJR四国を除く各旅客鉄道会社に引き継がれました。
もちろんその後は老朽化による新型車両への置き換えによってそのほとんどが廃車となりましたけれども、2023年2月時点ではJR西日本の40両とJR九州の15両の合計55両がまだまだ現役です。
そういえばJR九州103系を復刻色に戻すっていうニュースがありました(2023年)。
JR北海道の103系
あくまで都市部の通勤電車という設計であったことから、北海道ではあ運用された実績はありませんし、前述のようにJR移行後も継承されませんでした。
が!実は少数だけ北海道に渡った103系があるんです。といっても営業用ではなく、1998年に行われた衝突試験のためのもの。試験についてはその詳細は明らかにされていませんが、混色編成が改装されていく姿については鉄道ファンによって撮影されています。
もちろん試験後は解体されたので残ってはおりませんが……
JR四国の103系
北海道に渡ったのなら四国もあるんじゃ??と思いますが、残念ながら四国についてはその話は一切ありません。うーん、残念。
とはいえ「車両としては無い」ということであって、部品単位で見れば話は別。
例えばJR四国の121系は廃車となった103系などの部品が再利用されています。モーターの唸りや走行音はまさに103系そのもの。
そう考えると日本全国で活躍したというのはウソではないと言えるでしょうか。
その後の通勤電車への影響
103系電車のその優れた設計は、それ以降の鉄道車両に与えた影響は非常に多いと言われています。例えば東京地下鉄東西線へ乗り入れる301系ですとか、ローカル線向けの105系は103系がベースとなっています。
そしてなんといっても「電車」のイメージを作ったのも大きいでしょうか。
アニメ「サザエさん」でよく出てくる緑色で四角い電車。まさに103系山手線をモチーフにしたものですよね。
余談ですが、とりあえず電車描いてって言われれば、やはりこの103系っぽいイメージのものになる人が多いのではないでしょうか。
※ガチの鉄同ファンは除きます。やたらと変化球で攻めてくる人種ですので。こらそこ!103系と見せかけた115系描かない。
まとめ
国鉄103系電車についてザックリとまとめてみました。まさに日本の鉄道史において重要な役割を果たした車両の一つと言えるでしょうか。その設計は、後の鉄道車両に大きな影響を与え、その経済性と大量生産性は、鉄道運行の効率化に大いに貢献しました。
また、そのシンプルなデザインは、多くの人々に親しまれたことも人気の要因の一つと言えるかもしれません。
国鉄103系電車は、日本の鉄道史における一つの重要な節目と言えるでしょう。その存在は、日本の鉄道技術の進歩を物語っています。
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